統合失調症(無職)の駄文ブログ

統合失調症を抱えている人の書く駄文です。文章を書く練習も兼ねています。

生きる希望を外に見つけないといけないのかもしれない。

今思うと

無職ひきこもり生活をしていた自分にとって

絵は自分の心が腐らない防腐剤の様な

役割をしてくれていたんだと思う。

 

 

絵の練習に明け暮れていた

あの日常は終わり

社会人生活ができる様に

動いていかないといけない

時期に来てしまったのかもしれない。

(元々来ていた訳ではあるけど)

 

絵のスキルを上げていく選択肢を

取りながら社会復帰を目指すのと

 

ただ単に社会復帰を目指すだけなのでは

気持ちの持ちようが違ってくる。

 

 

「絵を収入源にする」というような

期待の持ててワクワクするような

選択肢がなくなった事は

今の自分にとって絶望でしかない。

 

絵の上達にクロッキー

欠かせないのは練習していて

なんとなくわかる。

 

というか腕の運びが

もう絵描きに向いてる様な

動きをしてくれていないと

個人的に感じている。

 

 

とりあえず

現実的な生活の絶望は

多分思ったより

早くやってくる気がするので

 

生きる希望を探すなら

外に探しに行くしかないんだろうな。

 

なにかものづくりに携われたら

良いなとは思う。

 

陶芸家とか難しいのかな

(甘くみていると思うけど)

趣味で陶芸してみるのも

良いかもしれない。

 

 

生きることに

意識を向けるだけでも

しんどいのは

 

頭でっかちになって

逃げているからかなぁ。

 

 

しんどくなったら横になって

とりあえず配信を聴くのが

日常になっているから

 

なにかに向かう気力が

弱くなっているのは感じる。

 

 

配信者(あと歌い手)も楽しそうだなと

思ったりもするけど

多分話をする所で

つまづくだろうな

 

人とのコミュニケーションから

逃げてきて認知機能障害も持っている

自分にとって話をすること自体が

ハードル高いことだと思う。

 

 

色んな表現が今は溢れているし

参入障壁が低くなっているのもあるから

なんとも良い時代になったもんだと思う。

 

小学生時代の自分が

今の時代を知ったら

喜んで配信者を

目指してるかもしれないな。

 

ただゲームするくらいなら

実況しながらやると

面白そうだなとか思うな

 

ただ防音の問題があるので

誰でもできるものでもないか。

 

 

こうなって思うのは

何事も真っ当に生きている人が強い

ということ

 

自分は逃げて逃げてこうなったから

なんのスキルも社会性もお金も

なんにも持っていない。

 

真っ当に生きていたら

貯金も社会性もあって

ある程度蓄えが出来て

なにかを始める際の

ハードルも低くなっているだろうなと思う。

 

 

自分は社会に対する忌避感が

強すぎるのかもしれない。

 

勉強をしたくないという

気持ちもある。

 

どうしようもない。

 

絵には前向きになれてたのにな。

(これを思うと気持ちが

自暴自棄気味になる)

 

 

それでは。