統合失調症(無職)の駄文ブログ

統合失調症を抱えている人の書く駄文です。文章を書く練習も兼ねています。

昔書いた雑文/今書いてみた雑文

今日はいつも通りの練習と

(丸描いたり線引いたり)

クロッキーをして

Xで公開されてる1P漫画を模写した。

 

それと父親が緑内障

手術を受けるというので

それの帰り道の付添をした。

(片目が塞がるため)

 

明日も眼帯を外すために

病院に行くのに付き添う。

 

なんとなくだけど外で

用事を済ました後の方が

物事に向かう際に

スッキリした気持ちで

立ち向かえるなと思った。

 

自分の中で父が社会の一端である

という認識が少し自立心に刺激を

与えるのかなとも思う。

 

 

文章が書けないと前回の

ブログで書いた。

2020年7月のワードの記録に残っていた

書き記しがなんとなくいい感じに

面白かったのでここに載せてみる。

 

2020年7月

「もういかなる土俵にも上がらぬ

小石となるやも

飴玉となるやも

変幻不確かな文字の数々

 

そんな言葉の雨あられ

わざわざ増やす必要も感じぬ

 

いかなる表明も

加担や支持や神輿を担ぐ役割にしか

ならぬというなら

 

そんなものいらぬ。

 

全て一笑に伏して

手前の一歩を踏み出すのみよ。」

 

以上

 

なんか締め方がどことなく格好いい(?)

のが面白い。

 

こういった文章というか雑文というか

自然と言葉が紡がれていく様に

思ったことに対して言葉が

浮かんできていたのが

再燃前の自分。

 

今思えば

こういう駄文を書ける自分が

なんとなく好きだった。

 

多分SNSに対して思ったことだろう。

 

何か自分に引っ掛かった

人の言葉に思考を巡らす様な

ことが多かったのかもしれない。

 

何かに付けて何かを考えていた。

 

 

妄想性の統合失調症だったから

それが薬で抑えられているということは

その思考に使ってた脳の部分に

抑制が掛かっているのかなと

思ったりする。

断薬はもちろん出来ないので

認知機能障害なのか薬の影響かは

わからずじまいだが。

 

以前の自分なら

この己の状態に何かしらの哲学?

を見出して、文章化している気がする。

 

 

「本当に空っぽなのだ

この風船が破裂することはない

爆発するようなインパクトを

生み出すこともない

そもそも空気が入っているのか怪しい

私は萎びた風船の残骸なのか

それならまた空気を入れたら治るのか

ヘリウムガスで浮いていたのか

二酸化炭素で転がっていたのか

それすら定かではない。

私が萎びた風船ならば

それはきっと諦めの姿勢なのだ。

意識的に何かを吸入してやらねば

飛ぶも浮かぶも叶わぬではないか。

願わくば今一度膨らむ風船であれ。

穴が空いてようが萎びていようが

一瞬の膨張でも良い

せめて何度でも膨らむ風船であれ。」

 

 

書いてみた。

 

 

漫画、アニメの「銀魂」という作品が

理屈や言葉をこねくり回すのが上手な作品で

強引にでも作中起きた事件や

様々な関係性を台詞で絡めて締めて

その結論で事件に決着をつける作風だったな、と

文章をこねていると思い出す。

 

 

それはそれとして

 

 

ちょっと書いてみたら

なんとなくでも

書けたではないかと

 

自分の中では今

喜びの気持ちがある。

 

 

良し悪しは別にして

自分は文章をこねくり回せた

という事実が嬉しい。

 

 

単純に自分と向き合う事が減った

意識的に減らしていたから思考が

でないのかな

 

ただ明らかに以前に比べて

能天気に頭が空っぽなので

やっぱり薬も含めて病気の影響で

こうなっているんだと思う。

 

 

 

風船の例に例えると

自分でネタとなる吸入器を用意する

ことを自覚的にすることで

風船をふくらませる様に

思考を生み出すことは可能なのでは

ないかと思った。

 

 

 

以前とは違うのは当たり前なので

色んなことに関して

やり方を変えていくのが良いんだろうな。

 

本当は環境も改めていかないと

いけないとも思ってはいるけど

それに関しては腰が重い。

 

 

 

 

 

それでは。