統合失調症(無職)の駄文ブログ

統合失調症を抱えている人の書く駄文です。文章を書く練習も兼ねています。

「創作の喜び」が忘れられない/入院5ヶ月前に描いたVtuberの漫画

特に書くことはない。

 

幸せや喜びに関して

何か逆転の発想や

コペルニクス的転回が

何かないかと思考してみようと

思ったりしている。

 

まあ、何も浮かばない。

 

一応、今までの喜びや幸せは

創作関係の事だったけれど

 

最近は

両親が健在なこと

ご飯が食べられること

毎日のんびり過ごせること

 

などに「幸せな気持ち」の中心軸を

変えようとしたりしたのが

逆転の発想だったりした。

 

 

それでも「創作の喜び」を

知ってしまっている自分は

それを享受できないでいる自分に

歯がゆさを感じることもまだあり

 

それがどうしても日常の悩みとして

浮かび上がってくる。

それに対して「逆転の発想」や

コペルニクス的転回」が

欲しいと感じている。

 

 

最近「ややこしくない絵の描き方」という

技法書を買った。

 

絵柄は個性的だけどみていて楽しく

パラ見するだけでも模写したくなってくる感じの

魅力がある絵なので店頭で読んで買ってしまった。

 

それを嫌にならない程度に模写してみたりして

絵との距離感のバランスをなんとか取っている。

 

 

これまた働いている人が聞いたら

贅沢な悩みかも知れないが

日中の暇な時間に創作が出来ないというのは

かなりモヤモヤすることであり

 

これを「遊戯王」なんかをやって

憂さ晴らしをするという

不毛な日々を過ごしている。

 

こんなときに幸せや喜びに対して

逆転の発想などが必要だなと感じる。

 

「のんびり出来る事が幸せ」

というのでも良いのだけど

どうしても無理やりそう思い込もうと

している感じも否めない。

 

 

多分引きこもりの日常に必要な幸せや喜びの

発想の転換」や「逆転」は

「社会参加をしてみる」になるんだろうなと

思ったりもしている。

 

前も書いたかも知れないが

もうやることも気持ちよく進める物事も

何もないどん詰まり状態なので

必然的に社会参加を思考せざる得ない状態に

自分はあるんだと思う。

 

 

社会に出たら出たで

創作に専念したいという気持ちが

湧いてくるかもしれないという

不安な気持ちがないではない。

 

それでも創作が出来ないのだから

考えても仕方がない。

 

 

自分の「創作をする喜び」は

「創作を第一に思考できる」ことに

あった様な気がする

 

ここに発想の転換、逆転

コペルニクス的転回が必要な気もする。

 

↓「ぺこるしの漫画」

↑2022年1月23日完成

 

陽性症状が発症し入院する

5ヶ月前に描いた漫画

Vtuberをキャラクターにした

荒唐無稽なギャグ漫画だけど

これでもプロットから書いている。

 

部屋の模様替えをして

大量にあった漫画本や少量あった技法書

ラノベ、新書などを処分して部屋をスッキリ

させた頃にこの漫画を描いたのを覚えている。

 

断薬を決めた頃に近い。

 

とにかく漫画に挑戦したくて

夜中、スマホに勢いでプロットを打ち込んだ

思い出がある。

 

自分は統合失調症の陽性症状の経験が

何回かありその度に画力が落ちては

リハビリして元に戻すということをやっていた。

 

 

この漫画は絵のリハビリも兼ねていて

漫画的にやってみたい表現も出来たと思う。

(コマ枠ぶち抜きのキャラクターなど)

 

結構無理やりな流れで

オチも強引に持っていった。

こういう発想の源泉は

今まで読んできた漫画にあるんだけど

 

今の自分ではここまで考える事が

できないかもしれない。

(特にオチにまで持っていく発想や

途中のキャラクター同士のやり取りなど)

 

プロットもそうだけど

漫画にする際にも

なるべく体裁を整えるために色々

頭の片隅で意識しながらネームを描く

という事があるのだけど

 

今の自分はマルチタスク的な脳をしていない

というかなんか一部ぼんやりしているのか

もはやぼんやりしていたいのか

頭が働いてない感じがあり。。。。

(働かせたくないのかもしれない)

 

今思ったけどやろうとしてないだけかもしれない。

(陽性症状発症した後はなぜか絵や漫画に対して

勉強していた内容を忘れてしまう事があった

※人体を描く際はアタリを取る、等)

 

漫画のプロットなんか書いてみようかな。。

ただ「出来ない」という辛さに直面するのが

自分はすごく嫌だというのは

クロッキーで心が折れた経験からもわかる。

 

まず絵が描けないし、という弱音も出てくる。

 

 

「創作する喜び」というのに対する

「逆転の発想」は「他者の創作物で満足する」

(一度は「創作自体から離れる」という発想をしていた)

ということになるのだろうか。

 

話がとっ散らかったけど

 

 

幸せや喜びを一つに限定する

必要もないのかも知れない

 

引きこもっているから

「創作の喜び」だけに気持ちを

持っていかれてしまうんだろうか。

 

以前買った新書「悩み抜く意味」を

もう一度言葉を拾うように読んでみるのが

良いのかも知れない。

(夜と霧のフランクルの言葉がよく引用されている)

 

「社会参加」からまた別の

喜びや幸せを見つける努力を

してみるのが正攻法なんだろうな。

 

 

 

 

社会怖いな~。。

 

 

10月迎えたらいよいよ年末も近づいてきて

今年も終わりが見えてくるけど

結局、社会復帰支援的な所へは行けてないな。

 

 

 

主治医には涼しくなってきたら

行ってみましょう的なことを言われているので

今週にある診察で何か言われるかもしれない。

 

 

 

 

それでは。